世界中をぷらぷらしてきた

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おっさんから電話があったのは地元に戻ってから2日目のことだった。部屋でビールを飲みながらTVを見ていた時だった。携帯が鳴った。何故かおっさんからの電話じゃないかなと思った。液晶画面を見るとやっぱりおっさんからだった。

俺「もしもし?こんばんわ」

おっさん「兄ちゃん今大丈夫か?兄ちゃん、本当に悪いんだけどまた手伝って貰う事ってできないかな?」

俺「どうしたんですか?」

話を聞くとこうだった。

俺達が作業をしていた近辺に震災後3ヶ月程してようやく電気の通るメドが立ったらしく、国から派遣された業者が重機を使って倒れた電柱や横倒しになったトラック、塀などをどかしたところ、その下からまた大量の泥が出てきたとのことだった。中には大物に覆われて今まであることさえ知らなかった側溝の蓋やガレキなどが見つかったとのことだが、どうやら業者はそこまで作業はしてくれないらしく、自分達で取り除かなければならない状況のようだった。

正直、少し憂鬱な気持ちだった。

沿岸部で被災した人に比べれば自分は自分の生活を放棄してボランティアに専念出切るほど自由で身軽だったが、一度ボランティアを離れて地元に帰るとそこはもう通常の日常生活が行われている空間なわけで、なかなか被災地に足を踏み入れるのは気分的にも困難なものだった。ろくに飯も食えない。汗をかいても風呂にも入れない。それは逆に言うと沿岸部で被災した人たちは今でもそのような生活を送っているということだった。TVをはじめとするメディアでは震災後の生活をボランティアや譲り合い精神を取り上げて美談化していたが、少なくとも俺の目に写った被災地での被災した人々の生活はそんなもんじゃなかった。俺自信も最初は「津波が襲った沿岸部をこの目で見てみたい」と思ったのがきっかけであるし、おっさんから聞いた話だと避難所では物資の奪い合いによるトラブルが後を絶たないようだった。現に俺が行っていた地区では3ヶ月経っても電気すら通らず、電気がないので冷蔵庫が使えない→食料の保存が出来ない→レトルトのみの食生活。また水道は出るが飲むことは出来ないので何をするにもミネラルウォーターが必要だった。それなのに水の物資は一向に入ってこない。とにかく大変な現場だった。

俺「勿論!いつ行けばいい?」

おっさん「本当に悪いなぁ。兄ちゃん有り難うなぁ」

俺「いや全然!こんな時じゃないと人の役に立てそうな生活できてないし俺・・」

おっさん「何言ってんだよ。兄ちゃんは立派だよ」

俺「いやいや、まぁ・・・じゃあ明日行きますよ」

おっさん「明日来てくれるのか?」

俺「はい。どうせ暇ですし」

おっさん「本当に助かるよ。明日は他にも団体さんが来てくれるんだが指示してくれる人がいなくて困ってたんだ。じゃあ、また宜しく頼むよ!」

俺「指示できるかは別としてよろしくです^^」

こうして俺はまた再び石巻へ向かうこととなった。

翌朝、1週間分の着替えと食料を買い込んで石巻へ向かった。この頃になると沿岸の被災部とは変わって津波被害のなかった場所は日常の生活に戻っていた。会社が始まり、店もほぼ100%再開し、休日になれば遊びに出かける若者の姿も多く見られるようになったし、その姿だけを見ると本当に地震があったのか疑問に思ってしまう程日常は普通に戻っていた。それだけ石巻に到着するとそのギャップが凄くてどうにも悲しい気持ちになった。高速道路を降りると最初に目に飛び込んでくるのが点灯していない信号機、現場近くの骨組みだけのコンビニエンスストア。それらを横目に車を走らせ現場に到着すると既に大勢の団体ボランティアの方々が作業を始めていた。

俺はおっさんの姿を探した。おっさんは壊れかけた壁の修理をしていた。

俺「おはよっす!」

おっさん「兄ちゃん!有り難うな!今団体さんにあそこの泥を集めて土嚢袋に入れる作業をお願いしてるんだけど、スコップと一輪車じゃいつになっても終わらないからさ、悪いんだけど俺の車使っていいから荷台に泥上げて、それ運んで貰えないか?」

俺「え!?俺が運転すんの?」

おっさん「マニュアル免許ないのか?」

俺「いや、あるけどマニュアルなんか随分運転してないから・・」

おっさん「大丈夫。すぐになれるから。じゃ、頼んだぞ」


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そして俺はこの日から軽トラ運転手へと昇格した。

スコップを使わないので汗をかかない。作業は泥の場所まで運転していき、団体さんがスコップで荷台に泥を乗せる。限界に達したら2人程荷台に乗ってもらい土嚢袋のある場所まで運転していく。そこで荷台から泥を降ろし再び泥の場所へ戻るという単純作業だ。作業が終わると団体さんの宿泊場所の駐車場を借りてそこで眠った。作業は4日で終了した。人数が多かったことと、雨が降らなかった事が救いだった。おっさんはこれから違う現場に向かうことになっていた。

おっさん「兄ちゃん本当に有り難うなぁ」

俺「お役に立てて光栄です」

作業が終わった現場の前でブロックに腰掛けておっさんと会話をした。思い返せば俺が最初に来たとき、この場所は数十センチの泥が四方に積もっていて車すら入れない場所だった。そこをスコップで車のタイヤが通る場所だけとりあえず搔き出した所から始めたのだった。それがここまで見違えるようになると気分がいい。これで電気と水道が復旧すれば本当に人が住めるというレベルにまで片付いていた。ただ、住人の姿はなかった。

当たり前だがあれほどの津波被害を被って再び同じ場所に家を新築しようという人がいないのだろう。郷土愛という言葉があるけれども、どんな事があっても自分が生まれ育った土地を離れたくないという気持ち。また同じ被害に遭いたくないと考える気持ち。そのどちらも分かるだけに凄く複雑な気持ちだった。そんな話をおっさんとした。おっさんは携帯で撮影した震災前の写真を見せてくれた。主におっさんが仕事をした現場の完成写真だった。

おっさん「石巻って本当にいい街だったんだよ。活気があって、人が沢山いてさ。それがこんな風になってしまうなんて本当に嘘みたいな話だよな。兄ちゃんのとこだって随分揺れただろう?こんなにこっちに来てて大丈夫なのか?親御さんは心配してないのか?」

「だって俺の地元はもう普通の生活ですもん。大丈夫ですよ」

なんて冗談にも言えなかった。

俺「色々大変でしたけど何とか大丈夫ですよ」

おっさん「そっか。いやぁ兄ちゃんと逢えて良かったよ。本当に有り難うな」

俺「え?てかこれで作業は全部終わりなんですか?俺もう最後まで一緒にやるつもりで来たんですけど」

おっさん「有り難うなぁ。本当に有り難うなぁ。でもここから先の作業は大工だったり、プロの仕事になるんだ」

俺「そっかぁ」

おっさん「もうすぐ夏になるなぁ」

俺「ですね。俺来た時雪降ってましたもんね」

おっさん「早く震災前の石巻に戻さないとなぁ」

俺「本当ですね!」

おっさん「全部片付いたら兄ちゃんと一杯やりてぇな」

俺「いいですねぇ!俺酒大好きなんですよ」

おっさん「俺はあんまり飲めないけど、ご馳走するから飲みに行こうな」

俺「はい!」

おっさんみたいに石巻を元に戻そうと必死で頑張っている人が居る限り、きっといつか石巻は元通りに戻るっていう確信を得て俺はまた地元へ戻った。月日は流れ、カレンダーは7月になっていた。あれから南三陸に救援物資を友人と運んだり、Iさんに逢いに行ったり、バックパッカー仲間から送って貰った物資を被災地に配ったり、そんな生活を送っていた。

そんな7月の上旬、風呂あがりに何気なしに携帯を見るとおっさんから着信が入っていた。
コメント
この記事へのコメント
なんかおっちゃんに感動したよ
2011/07/12(火) 21:19:01 | URL | #-[ 編集]
更新待ってたよ!!

ぷらぷらのブログみてると被災地の厳しさが本ト伝わってくる

お風呂ぐらい毎日入らせてあげたいね!!
もう4カ月だよ・・・

ぷらぷらありがとう(>_<)
身体に気をつけて!!

2011/07/12(火) 23:09:00 | URL | 623 #-[ 編集]
救援物資はたくさんあるはずなのに必要なところに届いてないとは
なかなかうまくいかないもんだな
2011/07/13(水) 11:26:24 | URL | #-[ 編集]
今年のお盆休みは長いので大阪からボランティアに行こうかなあと思ってるけど、まだ仕事ありそう?
2011/07/21(木) 23:12:19 | URL | #-[ 編集]
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