世界中をぷらぷらしてきた

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風呂上りにいつものように冷蔵庫からイオングループの激安発泡酒を飲みながら携帯電話を見るとおっさんから不在着信をを知らせるメッセージが表示されていた。情けない事に俺はすぐに電話をかけ直さず、発泡酒を2缶程飲みながら悩んだ。正直、また被災地へボランティアへ行く事をためらっていた。口では立派な事を言っていても1度被災地から離れ地元に戻ると、どうしても再び被災地へ向かうには相当の気力が必要になる。今でこそ探せば風呂にも入れるし、食料の確保も容易になったが、それでも炎天下の中の作業は相当に骨の折れる作業で、「来てくれ」と言われたところで「はい」と簡単に返事できないようなものだった。それでもあの震災をきっかけに知り合ったおっさんからの着信。きっと困っていることがあるんだろう。俺は電話をかけなおした。

俺「もしもし?おっさん?」

おっさん「兄ちゃんか?久々だなぁ!元気してたか?仕事忙しいか?」

俺「ぼちぼちだよ。おっさんも元気?」

おっさん「ああ、元気さ。ところで11日空いてないか?」

カレンダーに目をやると11日は平日月曜日、予定は何も無かった。

俺「うん、特に予定はないよ」

おっさん「11日で震災からちょうど4ヶ月になるんだ。こっちでは毎月11日に慰霊祭をやるんだけど、今回の慰霊祭の開催場所が前に兄ちゃんと一緒に作業してた現場の地区なんだよ。それでさ、本当に申し訳ないんだけど駐車場予定にしている場所の清掃をしたいんだ。またNPOの団体さんに入ってもらうんだけど例の如く指揮してくれる人がいなくてさ。もし良かったら来てもらえないかな?」

俺「あれ?でも11日当日に作業したら間に合わないんじゃないの?」

おっさん「そうなんだよ。一応作業は明日から始めるんだけど、兄ちゃんがいいならまた是非手伝ってもらえないかな?」

俺「もー!遠まわしだな!いいよ!明日行くよ!で、11日は前置きなのね?」

おっさん「いや、11日も是非来て欲しいんだ。俺も一緒に作業してた○○さんとかも12日から別な現場に移動することになるんだよ。大工はとにかく人手が足りなくてな。だから11日は最後の石巻になりそうだから、兄ちゃんにも是非一緒にどうかなと思ってさ」

俺「分かった!でも礼服着たりしなくて大丈夫なんでしょ?」

おっさん「ああ、大丈夫だよ」

俺「おっし、詳しい話は明日そっちで聞くよ!じゃ、また明日現場で!」

おっさん「有り難うな!気をつけて来てくれ」

俺「はいよ!おやすみ~!」


こうして俺はまた石巻へと向かうことになった。玄関の横に置いてあるヘルメット、防塵マスク、作業手袋、カッパ、長靴、替えのTシャツ、下着などをバックパックに突っ込む。あとは寝るだけだ。ご存知の人も多いかと思うけれども被災地では高速道路の無料化が行われ、被災証明書と免許証の本籍が一緒ならばネクスコ管轄の高速道路ならば無料で通れるサービスが再開されていた。よく県外の友人などから「いいよな」「羨ましいよ」などと言われるが、実にこれが面倒臭い。朝夕の通勤時間帯の高速道路の大渋滞、事故の増加。冗談抜きに高速道路の料金所で1時間待たされる。急いでいるのでETCで高速道路に乗ろうとも下りる時に既に高速道路の通行車線から大渋滞しているのでETCでも並ばされることになる。

翌朝、俺は8時半には現場に到着したかったので5時半に起床し6時に家を出る事にした。通常地元から石巻市までは片道1時間程で到着できる(高速道路利用の場合)。それでも2時間半の余裕を見て家を出た。


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7月上旬はとにかく暑く、朝の時点で25度を越え、午後になると35度にまで気温はあがった。オンボロ愛車は度重なる石巻との往復で金属部分は錆び、エアバックも故障して警告等のオンパレード状態になっていた。


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被災証明書を利用して高速道路に乗るには通常の発券機で券を受け取り、下りる時に被災証明書と免許証、券の3点セットを係員に見せる。すると無料で通してくれる仕組みなのだ。


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あとはひたすら渋滞との戦い。2時間半の余裕を見て出発したが到着したのは9時。実に3時間もかかってしまった。現場へ到着すると、そこは本当に見違えるほどきれいになっていた。お世辞にも人が住める環境とは言えないが、震災当初の事を思い返すとそこは本当に別の場所に思える程綺麗になっていた。いつもの定位置に車を停め、外で着替えおっさんの車へ向かうと建物の中から俺を呼ぶ声がした。

おっさん「兄ちゃーん!ご苦労さん!」

俺「あ、おはようございます」

おっさん「いつも有り難うな!今日はここの塀を壊して下にある泥を運ぶんだけど、兄ちゃん防塵マスク持ってるか?」

俺「勿論」

当初、石巻地区に流れ込んだ大量の泥は重油を含んでいて真っ黒でドロドロのものだったが、4ヶ月近く経つにつれてその泥も乾燥し、サラサラの様態になっていた。しかしこれが曲者で、重油を含んだ砂が風で巻き上がるので吸い込むと大変な事になるのだ。実際、長いこと一緒に作業していた人も何人か体調を崩してしばらく作業に出て来れなくなっていた。

おっさん「分かっているとは思うけど気をつけて作業してな」

俺「うん。大丈夫だよ。でも暑いね~。あとなんか・・臭いひどくなってない?」

おっさん「そうなんだよ」

俺「あとハエも随分増えたね」

おっさん「ああ。ほら、これ1時間前に作ったやつだけどもうこんなに捕れたんだぞ」

俺「うっはw」


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動画で見る(ようつべ)


この日から10日の慰霊祭前日まで会場設営や泥運びなどを行った。そして7月11日、俺には忘れられない出来事が起きた。

次回、石巻ボランティア最終回です。



(料金所に並ぶ渋滞。毎朝こんな感じ、道路はボコボコで120km出したら確実事故りますw)
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おっさんから電話があったのは地元に戻ってから2日目のことだった。部屋でビールを飲みながらTVを見ていた時だった。携帯が鳴った。何故かおっさんからの電話じゃないかなと思った。液晶画面を見るとやっぱりおっさんからだった。

俺「もしもし?こんばんわ」

おっさん「兄ちゃん今大丈夫か?兄ちゃん、本当に悪いんだけどまた手伝って貰う事ってできないかな?」

俺「どうしたんですか?」

話を聞くとこうだった。

俺達が作業をしていた近辺に震災後3ヶ月程してようやく電気の通るメドが立ったらしく、国から派遣された業者が重機を使って倒れた電柱や横倒しになったトラック、塀などをどかしたところ、その下からまた大量の泥が出てきたとのことだった。中には大物に覆われて今まであることさえ知らなかった側溝の蓋やガレキなどが見つかったとのことだが、どうやら業者はそこまで作業はしてくれないらしく、自分達で取り除かなければならない状況のようだった。

正直、少し憂鬱な気持ちだった。

沿岸部で被災した人に比べれば自分は自分の生活を放棄してボランティアに専念出切るほど自由で身軽だったが、一度ボランティアを離れて地元に帰るとそこはもう通常の日常生活が行われている空間なわけで、なかなか被災地に足を踏み入れるのは気分的にも困難なものだった。ろくに飯も食えない。汗をかいても風呂にも入れない。それは逆に言うと沿岸部で被災した人たちは今でもそのような生活を送っているということだった。TVをはじめとするメディアでは震災後の生活をボランティアや譲り合い精神を取り上げて美談化していたが、少なくとも俺の目に写った被災地での被災した人々の生活はそんなもんじゃなかった。俺自信も最初は「津波が襲った沿岸部をこの目で見てみたい」と思ったのがきっかけであるし、おっさんから聞いた話だと避難所では物資の奪い合いによるトラブルが後を絶たないようだった。現に俺が行っていた地区では3ヶ月経っても電気すら通らず、電気がないので冷蔵庫が使えない→食料の保存が出来ない→レトルトのみの食生活。また水道は出るが飲むことは出来ないので何をするにもミネラルウォーターが必要だった。それなのに水の物資は一向に入ってこない。とにかく大変な現場だった。

俺「勿論!いつ行けばいい?」

おっさん「本当に悪いなぁ。兄ちゃん有り難うなぁ」

俺「いや全然!こんな時じゃないと人の役に立てそうな生活できてないし俺・・」

おっさん「何言ってんだよ。兄ちゃんは立派だよ」

俺「いやいや、まぁ・・・じゃあ明日行きますよ」

おっさん「明日来てくれるのか?」

俺「はい。どうせ暇ですし」

おっさん「本当に助かるよ。明日は他にも団体さんが来てくれるんだが指示してくれる人がいなくて困ってたんだ。じゃあ、また宜しく頼むよ!」

俺「指示できるかは別としてよろしくです^^」

こうして俺はまた再び石巻へ向かうこととなった。

翌朝、1週間分の着替えと食料を買い込んで石巻へ向かった。この頃になると沿岸の被災部とは変わって津波被害のなかった場所は日常の生活に戻っていた。会社が始まり、店もほぼ100%再開し、休日になれば遊びに出かける若者の姿も多く見られるようになったし、その姿だけを見ると本当に地震があったのか疑問に思ってしまう程日常は普通に戻っていた。それだけ石巻に到着するとそのギャップが凄くてどうにも悲しい気持ちになった。高速道路を降りると最初に目に飛び込んでくるのが点灯していない信号機、現場近くの骨組みだけのコンビニエンスストア。それらを横目に車を走らせ現場に到着すると既に大勢の団体ボランティアの方々が作業を始めていた。

俺はおっさんの姿を探した。おっさんは壊れかけた壁の修理をしていた。

俺「おはよっす!」

おっさん「兄ちゃん!有り難うな!今団体さんにあそこの泥を集めて土嚢袋に入れる作業をお願いしてるんだけど、スコップと一輪車じゃいつになっても終わらないからさ、悪いんだけど俺の車使っていいから荷台に泥上げて、それ運んで貰えないか?」

俺「え!?俺が運転すんの?」

おっさん「マニュアル免許ないのか?」

俺「いや、あるけどマニュアルなんか随分運転してないから・・」

おっさん「大丈夫。すぐになれるから。じゃ、頼んだぞ」


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そして俺はこの日から軽トラ運転手へと昇格した。

スコップを使わないので汗をかかない。作業は泥の場所まで運転していき、団体さんがスコップで荷台に泥を乗せる。限界に達したら2人程荷台に乗ってもらい土嚢袋のある場所まで運転していく。そこで荷台から泥を降ろし再び泥の場所へ戻るという単純作業だ。作業が終わると団体さんの宿泊場所の駐車場を借りてそこで眠った。作業は4日で終了した。人数が多かったことと、雨が降らなかった事が救いだった。おっさんはこれから違う現場に向かうことになっていた。

おっさん「兄ちゃん本当に有り難うなぁ」

俺「お役に立てて光栄です」

作業が終わった現場の前でブロックに腰掛けておっさんと会話をした。思い返せば俺が最初に来たとき、この場所は数十センチの泥が四方に積もっていて車すら入れない場所だった。そこをスコップで車のタイヤが通る場所だけとりあえず搔き出した所から始めたのだった。それがここまで見違えるようになると気分がいい。これで電気と水道が復旧すれば本当に人が住めるというレベルにまで片付いていた。ただ、住人の姿はなかった。

当たり前だがあれほどの津波被害を被って再び同じ場所に家を新築しようという人がいないのだろう。郷土愛という言葉があるけれども、どんな事があっても自分が生まれ育った土地を離れたくないという気持ち。また同じ被害に遭いたくないと考える気持ち。そのどちらも分かるだけに凄く複雑な気持ちだった。そんな話をおっさんとした。おっさんは携帯で撮影した震災前の写真を見せてくれた。主におっさんが仕事をした現場の完成写真だった。

おっさん「石巻って本当にいい街だったんだよ。活気があって、人が沢山いてさ。それがこんな風になってしまうなんて本当に嘘みたいな話だよな。兄ちゃんのとこだって随分揺れただろう?こんなにこっちに来てて大丈夫なのか?親御さんは心配してないのか?」

「だって俺の地元はもう普通の生活ですもん。大丈夫ですよ」

なんて冗談にも言えなかった。

俺「色々大変でしたけど何とか大丈夫ですよ」

おっさん「そっか。いやぁ兄ちゃんと逢えて良かったよ。本当に有り難うな」

俺「え?てかこれで作業は全部終わりなんですか?俺もう最後まで一緒にやるつもりで来たんですけど」

おっさん「有り難うなぁ。本当に有り難うなぁ。でもここから先の作業は大工だったり、プロの仕事になるんだ」

俺「そっかぁ」

おっさん「もうすぐ夏になるなぁ」

俺「ですね。俺来た時雪降ってましたもんね」

おっさん「早く震災前の石巻に戻さないとなぁ」

俺「本当ですね!」

おっさん「全部片付いたら兄ちゃんと一杯やりてぇな」

俺「いいですねぇ!俺酒大好きなんですよ」

おっさん「俺はあんまり飲めないけど、ご馳走するから飲みに行こうな」

俺「はい!」

おっさんみたいに石巻を元に戻そうと必死で頑張っている人が居る限り、きっといつか石巻は元通りに戻るっていう確信を得て俺はまた地元へ戻った。月日は流れ、カレンダーは7月になっていた。あれから南三陸に救援物資を友人と運んだり、Iさんに逢いに行ったり、バックパッカー仲間から送って貰った物資を被災地に配ったり、そんな生活を送っていた。

そんな7月の上旬、風呂あがりに何気なしに携帯を見るとおっさんから着信が入っていた。
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