世界中をぷらぷらしてきた

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7月11日朝、俺はいつも通り車の中で目を覚ました。今日は大震災から4ヶ月目を迎える節目の日だ。実際、被災地各地では毎月11日に月命日としてどこかしらで慰霊法要が取り行われていたが俺は参加したことがなく、今回の石巻の慰霊法要が初めてであった。起きてからコンビニに移動し歯を磨いて顔を洗う。ボランティア当初は右も左も分からなかった石巻の街を今は地図も見ないで走れるまでになった。俺は朝食のカレーパンをかじりながら、おっさんと待ち合わせをした避難所へと向かった。

この避難所は何度か訪れたことがあるが中に入った事はない。この日も駐車場でおっさんを待ち、慰霊法要の会場へ向かう予定であった。避難所の入り口からおっさんが出てくる。おっさんは見慣れた作業服ではなく礼服だった。

おっさん「おはよう!わざわざ悪いな」

俺「おはよです!ってか礼服とか似合わないですねwww」

おっさん「自分でも思うよ。兄ちゃん、今日は俺の車で行こう。乗せてくからこっちに乗ってくれよ」

俺「あれ?俺の車は?」

おっさん「ここに停めておけばいいさ。ああ、車上荒らしとかあるから貴重品だけは置いていかないようにしてくれよ」

俺「うん。分かった」

俺はおっさんの軽トラへと乗り込んだ。手で窓を開けて慰霊法要の会場へ向かった。

俺「おっさん?この風呂敷なに?」

おっさん「・・・・・・・・・・、ああ、これは甥っこの写真だよ」

俺「・・・・・・・・・・・・・」

俺は一瞬で悟った。今まで一度も口には出さなかったが、おっさんは甥を津波で亡くしていたのだ。

おっさん「なんかな、踏ん切りがつかなくてな。俺の知り合いでも大勢いるんだけど、震災からちょうど四十九日経った日に慰霊法要があったんだよ」

俺「はい」

おっさん「なんかな。今でも信じられなくてな。甥の家に行ったら『おんちゃん!』って元気に出てきてくれそうでな」

俺「・・・・・・・・・・」

おっさん「四十九日の法用にも俺は行ったんだけど会場には入れなかったんだ。入ったらこう、甥の死を認めてしまうことになりそうでな。もう無理なのは分かってるんだがな」

俺「・・・・・・・・・・」

おっさん「でも今日はちゃんと中に入るつもりだ。甥の両親も来てる。兄ちゃんには悪いけど一緒に見守ってくれないか?」

俺「うん。俺なんかで良ければ」

おっさん「有難うなぁ」

車はアッという間に会場へと到着した。大勢のお坊さんが会場の準備をしている。その周りには礼服を着た大勢の人達が虚ろな表情で並べられたパイプ椅子に座っていた。仕事柄、これまで多くの葬儀に参列してきた事があるけれども、この日程重い空気を見た事がなかった。おっさんは受付を済ませると案内されたパイプ椅子へと腰掛けた。その隣に俺も腰掛ける。周りは礼服を着た人でいっぱいなのに俺だけツナギ姿だったのが変な気持だった。法用は着々と進み、焼香となると参列者が順にお焼香へと向かっていった。中には立ち上がることも出来ない若いお母さんの姿もあった。3月10日、まさか翌日にあんなことになるなんてこの世の人間で誰もが思っていなかったであろう。本当にあの日、あの時から変わってしまったんだ。何もかもが。

法用は1時間半程度で終了し、その後俺はおっさんと再び軽トラへと乗り込んで避難所へと向かった。

おっさん「兄ちゃん有難うな。俺もこれでやっとふっきれたよ」

俺「そんな・・・」

おっさん「いや、これから強く生きていく為には現実も受け入れないと駄目なんだ。だからいいんだ」

俺「うん・・・そうだけど。おっさん、あんまり無理しないでね」

おっさん「俺は大丈夫さ」

俺「そういや今日は作業ないの?俺ツナギ着て来たんだけど」

おっさん「作業はないよ。もうずっとな」

俺「え?どゆこと?」

おっさん「兄ちゃん、今晩地元に帰るのか?」

俺「いや、作業あると思ってたから残るつもりだったんだけど・・・・」

おっさん「ちょっと飲みにいかねぇか?」

俺「おっさんと?・・・・・・いいよ!」

おっさん「よし!じゃあ俺は着替えるから、○○の居酒屋わかるか?」

俺「うん」

おっさん「そこに18時に待ちあわせよう。勿論サシ飲みでな」

俺「分かった!」

それから俺はおっさんと別れ、ツナギから着替えてコンビニなどで時間をつぶした。そして待ちあわせの時間、おっさんはいつものおっさんの格好で現れた。

俺「あれ!?奥さんですか?」

おっさん「ああ」

おっさん妻「こんばんわ、話は旦那から聞いてます。本当にお世話になりました」

俺「いやいや、俺特別何もしてませんよ」

おっさん妻「今日はゆっくりしていってくださいね。帰りは迎えにくるから遠慮しないで」

おっさん「おう、有難うな。おし、行くか」

俺「うん」

こうして俺はおっさんと居酒屋へと入った。とりあえずの生ビールを注文し、これまでの作業の話などをしながら楽しく過ごした。

おっさん「兄ちゃん?兄ちゃんってなにか夢あるのか?」

俺「え?なに唐突に」

おっさん「いやな、普段はどんな生活してるのかなと思ってよ」

俺「ああ・・・。う~ん。夢ではないけどさ」

おっさん「なんだ?」

俺「俺ね、旅をしてるんだよ」

おっさん「初耳だな。どこに?」

俺「バックパッカーって言うんだけどリュック背負って気の向くままに世界中をぷらぷらと」

おっさん「兄ちゃん金持ちなんだな」

俺「いやいや、全然そんな豪華な旅行じゃないよ。本当の貧乏旅行」

おっさん「へぇ~、旅か。いいな」

俺「うん。凄くいいよ」

おっさん「彼女はいねぇのか?」

俺「・・・うん」

おっさん「好きな女は?」

俺「・・・まぁ」

おっさん「なんだいるんじゃねぇか。どうだ?うまくいってるのか?」

俺「それがこの震災で連絡取れなくなっちゃって」

おっさん「無事なんだよな!?」

俺「ああ・・・勿論。だって韓国人だもん」

おっさん「え?」

俺「あははは、びっくりするよね」

俺はこれまでの旅の話、腐っていた生活、2chの事、ブログの事、そんな事を全ておっさんに話した。

おっさん「なんだって!?じゃあ俺の事も書いてあるのか!?」

俺「うん。名前はおっさんだけどね」

おっさん「それを大勢の人が見てくれてるのか?」

俺「うん。大勢かどうかは分からないけど、顔も知らない人が見てくれてるよ」

おっさん「はぁ~。凄い時代になったもんだなぁ」

俺「それでさ、俺もうすぐ30歳になるんだよ。でね?これを期に旅はやめようと思うんだ。だから最後にどうしても行きたかった場所に行きたいんだよ。でもさ、世間一般からすれば30にもなって仕事もしないで海外旅行?ってことになるじゃん?だから後ろめたくてさ」

おっさん「う~む。でも兄ちゃんは行きたいんだろ?」

俺「うん。行きたい」

おっさん「行けない理由ってのはそれだけか?例えば親とかは大丈夫なのか?」

俺「うん、親はまだ健在だし。まぁでも良くは思わないかな」

おっさん「兄ちゃん」

俺「うん?」

おっさん「これ選別だ」

俺「ちょwwwwなにこれwww」

おっさん「選別だ。これを旅費の足しにしろ」

俺「待って待ってwww2万も受け取れないよ。てか1円も受け取れないよ」

おっさん「いいんだ。黙って受け取れ」

俺「無理無理!!」

おっさんは1万円札をクシャクシャにして俺の胸ポケットへ押し込んだ。

俺「駄目だって。ちょっと待ってよ。俺は資金の面では誰の力も借りない事にしてるんだよ!」

おっさん「じゃあ保険の意味で持ってろ」

俺「本当に大丈夫だってば!」

おっさん「頑固な奴だな」

俺「だってこれが俺の旅のポリシーなんだもん」

おっさん「海外はいいか?」

俺「うん・・・まぁ嫌な事も沢山あるけど、いいとこも沢山あるよ」

おっさん「どこが1番良かった?」

俺「そうだなぁ、やっぱり南米かな」

おっさん「南米か~。想像できねぇなぁ。俺なんか死ぬまで行けないだろうな」

俺「そんなことないよ」

おっさん「兄ちゃんよ」

俺「?」

おっさん「兄ちゃんはさっき30歳にもなってって言ったけど、俺からすればまだ30の若造だ。可能性はまだ無限にある。その好きな女の事だって、旅の事だって、成功でも失敗でも構わないけれど後悔しないようにだけしろ。今回の震災で心底思ったけど、どれだけ健康で安泰な生活している人でもいつどうなるかなんて本当に分からないもんなんだ。だから、後悔しないように生きてくれ」

俺「生きてくれって・・・。でも、うん。分かったよ」

おっさん「で、いつ行くんだ?」

俺「予定では10月末かな」

おっさん「そうか。で、いつ戻る?」

俺「分からないwww年内には戻る予定だけど本当に最後だしさ、納得いくまでやってみる」

おっさん「そうかそうか。じゃあ、帰ってきたらまた飲もうな」

俺「うん!!!お土産買ってくるよ!!」

おっさん「おお、楽しみにしてるよ」

俺「あれ?ところで作業がないとか言ってたのはなんなの?」

おっさん「ああ、石巻の現場はもうないんだよ。俺は明後日から南三陸にいくんだ」

俺「えええええ!?マジで!?」

おっさん「ああ。大工は忙しいんだぜ」

俺「じゃあ・・会えなくなっちゃうじゃん」

おっさん「会えるさ。戻ってきたら会う予定だろ?そん時に一緒に彼女も連れてこいよ」

俺「うっはwww分かった!マジで俺頑張るよ!!」

おっさん「兄ちゃん!俺兄ちゃんと出会って本当に救われたよ。有難うな」

俺「ちょっとやめてよ」

おっさん「あの日、なんだこいつって正直思ったけど本当に頼もしかったぞ」

俺「照れるって」

おっさん「俺も頑張るからな」

俺「うん、俺も頑張る!おっさんは体だけ壊さないよにしてよ」

おっさん「有難うな」

その後、閉店になるまで俺はおっさんと酒を酌み交わした。
次におっさんに会えるのは最後の旅を終えてから。俺は旅と同じ位その再会が楽しみでならない。



石巻ボランティア編 完
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風呂上りにいつものように冷蔵庫からイオングループの激安発泡酒を飲みながら携帯電話を見るとおっさんから不在着信をを知らせるメッセージが表示されていた。情けない事に俺はすぐに電話をかけ直さず、発泡酒を2缶程飲みながら悩んだ。正直、また被災地へボランティアへ行く事をためらっていた。口では立派な事を言っていても1度被災地から離れ地元に戻ると、どうしても再び被災地へ向かうには相当の気力が必要になる。今でこそ探せば風呂にも入れるし、食料の確保も容易になったが、それでも炎天下の中の作業は相当に骨の折れる作業で、「来てくれ」と言われたところで「はい」と簡単に返事できないようなものだった。それでもあの震災をきっかけに知り合ったおっさんからの着信。きっと困っていることがあるんだろう。俺は電話をかけなおした。

俺「もしもし?おっさん?」

おっさん「兄ちゃんか?久々だなぁ!元気してたか?仕事忙しいか?」

俺「ぼちぼちだよ。おっさんも元気?」

おっさん「ああ、元気さ。ところで11日空いてないか?」

カレンダーに目をやると11日は平日月曜日、予定は何も無かった。

俺「うん、特に予定はないよ」

おっさん「11日で震災からちょうど4ヶ月になるんだ。こっちでは毎月11日に慰霊祭をやるんだけど、今回の慰霊祭の開催場所が前に兄ちゃんと一緒に作業してた現場の地区なんだよ。それでさ、本当に申し訳ないんだけど駐車場予定にしている場所の清掃をしたいんだ。またNPOの団体さんに入ってもらうんだけど例の如く指揮してくれる人がいなくてさ。もし良かったら来てもらえないかな?」

俺「あれ?でも11日当日に作業したら間に合わないんじゃないの?」

おっさん「そうなんだよ。一応作業は明日から始めるんだけど、兄ちゃんがいいならまた是非手伝ってもらえないかな?」

俺「もー!遠まわしだな!いいよ!明日行くよ!で、11日は前置きなのね?」

おっさん「いや、11日も是非来て欲しいんだ。俺も一緒に作業してた○○さんとかも12日から別な現場に移動することになるんだよ。大工はとにかく人手が足りなくてな。だから11日は最後の石巻になりそうだから、兄ちゃんにも是非一緒にどうかなと思ってさ」

俺「分かった!でも礼服着たりしなくて大丈夫なんでしょ?」

おっさん「ああ、大丈夫だよ」

俺「おっし、詳しい話は明日そっちで聞くよ!じゃ、また明日現場で!」

おっさん「有り難うな!気をつけて来てくれ」

俺「はいよ!おやすみ~!」


こうして俺はまた石巻へと向かうことになった。玄関の横に置いてあるヘルメット、防塵マスク、作業手袋、カッパ、長靴、替えのTシャツ、下着などをバックパックに突っ込む。あとは寝るだけだ。ご存知の人も多いかと思うけれども被災地では高速道路の無料化が行われ、被災証明書と免許証の本籍が一緒ならばネクスコ管轄の高速道路ならば無料で通れるサービスが再開されていた。よく県外の友人などから「いいよな」「羨ましいよ」などと言われるが、実にこれが面倒臭い。朝夕の通勤時間帯の高速道路の大渋滞、事故の増加。冗談抜きに高速道路の料金所で1時間待たされる。急いでいるのでETCで高速道路に乗ろうとも下りる時に既に高速道路の通行車線から大渋滞しているのでETCでも並ばされることになる。

翌朝、俺は8時半には現場に到着したかったので5時半に起床し6時に家を出る事にした。通常地元から石巻市までは片道1時間程で到着できる(高速道路利用の場合)。それでも2時間半の余裕を見て家を出た。


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7月上旬はとにかく暑く、朝の時点で25度を越え、午後になると35度にまで気温はあがった。オンボロ愛車は度重なる石巻との往復で金属部分は錆び、エアバックも故障して警告等のオンパレード状態になっていた。


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被災証明書を利用して高速道路に乗るには通常の発券機で券を受け取り、下りる時に被災証明書と免許証、券の3点セットを係員に見せる。すると無料で通してくれる仕組みなのだ。


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あとはひたすら渋滞との戦い。2時間半の余裕を見て出発したが到着したのは9時。実に3時間もかかってしまった。現場へ到着すると、そこは本当に見違えるほどきれいになっていた。お世辞にも人が住める環境とは言えないが、震災当初の事を思い返すとそこは本当に別の場所に思える程綺麗になっていた。いつもの定位置に車を停め、外で着替えおっさんの車へ向かうと建物の中から俺を呼ぶ声がした。

おっさん「兄ちゃーん!ご苦労さん!」

俺「あ、おはようございます」

おっさん「いつも有り難うな!今日はここの塀を壊して下にある泥を運ぶんだけど、兄ちゃん防塵マスク持ってるか?」

俺「勿論」

当初、石巻地区に流れ込んだ大量の泥は重油を含んでいて真っ黒でドロドロのものだったが、4ヶ月近く経つにつれてその泥も乾燥し、サラサラの様態になっていた。しかしこれが曲者で、重油を含んだ砂が風で巻き上がるので吸い込むと大変な事になるのだ。実際、長いこと一緒に作業していた人も何人か体調を崩してしばらく作業に出て来れなくなっていた。

おっさん「分かっているとは思うけど気をつけて作業してな」

俺「うん。大丈夫だよ。でも暑いね~。あとなんか・・臭いひどくなってない?」

おっさん「そうなんだよ」

俺「あとハエも随分増えたね」

おっさん「ああ。ほら、これ1時間前に作ったやつだけどもうこんなに捕れたんだぞ」

俺「うっはw」


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動画で見る(ようつべ)


この日から10日の慰霊祭前日まで会場設営や泥運びなどを行った。そして7月11日、俺には忘れられない出来事が起きた。

次回、石巻ボランティア最終回です。



(料金所に並ぶ渋滞。毎朝こんな感じ、道路はボコボコで120km出したら確実事故りますw)
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おっさんから電話があったのは地元に戻ってから2日目のことだった。部屋でビールを飲みながらTVを見ていた時だった。携帯が鳴った。何故かおっさんからの電話じゃないかなと思った。液晶画面を見るとやっぱりおっさんからだった。

俺「もしもし?こんばんわ」

おっさん「兄ちゃん今大丈夫か?兄ちゃん、本当に悪いんだけどまた手伝って貰う事ってできないかな?」

俺「どうしたんですか?」

話を聞くとこうだった。

俺達が作業をしていた近辺に震災後3ヶ月程してようやく電気の通るメドが立ったらしく、国から派遣された業者が重機を使って倒れた電柱や横倒しになったトラック、塀などをどかしたところ、その下からまた大量の泥が出てきたとのことだった。中には大物に覆われて今まであることさえ知らなかった側溝の蓋やガレキなどが見つかったとのことだが、どうやら業者はそこまで作業はしてくれないらしく、自分達で取り除かなければならない状況のようだった。

正直、少し憂鬱な気持ちだった。

沿岸部で被災した人に比べれば自分は自分の生活を放棄してボランティアに専念出切るほど自由で身軽だったが、一度ボランティアを離れて地元に帰るとそこはもう通常の日常生活が行われている空間なわけで、なかなか被災地に足を踏み入れるのは気分的にも困難なものだった。ろくに飯も食えない。汗をかいても風呂にも入れない。それは逆に言うと沿岸部で被災した人たちは今でもそのような生活を送っているということだった。TVをはじめとするメディアでは震災後の生活をボランティアや譲り合い精神を取り上げて美談化していたが、少なくとも俺の目に写った被災地での被災した人々の生活はそんなもんじゃなかった。俺自信も最初は「津波が襲った沿岸部をこの目で見てみたい」と思ったのがきっかけであるし、おっさんから聞いた話だと避難所では物資の奪い合いによるトラブルが後を絶たないようだった。現に俺が行っていた地区では3ヶ月経っても電気すら通らず、電気がないので冷蔵庫が使えない→食料の保存が出来ない→レトルトのみの食生活。また水道は出るが飲むことは出来ないので何をするにもミネラルウォーターが必要だった。それなのに水の物資は一向に入ってこない。とにかく大変な現場だった。

俺「勿論!いつ行けばいい?」

おっさん「本当に悪いなぁ。兄ちゃん有り難うなぁ」

俺「いや全然!こんな時じゃないと人の役に立てそうな生活できてないし俺・・」

おっさん「何言ってんだよ。兄ちゃんは立派だよ」

俺「いやいや、まぁ・・・じゃあ明日行きますよ」

おっさん「明日来てくれるのか?」

俺「はい。どうせ暇ですし」

おっさん「本当に助かるよ。明日は他にも団体さんが来てくれるんだが指示してくれる人がいなくて困ってたんだ。じゃあ、また宜しく頼むよ!」

俺「指示できるかは別としてよろしくです^^」

こうして俺はまた再び石巻へ向かうこととなった。

翌朝、1週間分の着替えと食料を買い込んで石巻へ向かった。この頃になると沿岸の被災部とは変わって津波被害のなかった場所は日常の生活に戻っていた。会社が始まり、店もほぼ100%再開し、休日になれば遊びに出かける若者の姿も多く見られるようになったし、その姿だけを見ると本当に地震があったのか疑問に思ってしまう程日常は普通に戻っていた。それだけ石巻に到着するとそのギャップが凄くてどうにも悲しい気持ちになった。高速道路を降りると最初に目に飛び込んでくるのが点灯していない信号機、現場近くの骨組みだけのコンビニエンスストア。それらを横目に車を走らせ現場に到着すると既に大勢の団体ボランティアの方々が作業を始めていた。

俺はおっさんの姿を探した。おっさんは壊れかけた壁の修理をしていた。

俺「おはよっす!」

おっさん「兄ちゃん!有り難うな!今団体さんにあそこの泥を集めて土嚢袋に入れる作業をお願いしてるんだけど、スコップと一輪車じゃいつになっても終わらないからさ、悪いんだけど俺の車使っていいから荷台に泥上げて、それ運んで貰えないか?」

俺「え!?俺が運転すんの?」

おっさん「マニュアル免許ないのか?」

俺「いや、あるけどマニュアルなんか随分運転してないから・・」

おっさん「大丈夫。すぐになれるから。じゃ、頼んだぞ」


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そして俺はこの日から軽トラ運転手へと昇格した。

スコップを使わないので汗をかかない。作業は泥の場所まで運転していき、団体さんがスコップで荷台に泥を乗せる。限界に達したら2人程荷台に乗ってもらい土嚢袋のある場所まで運転していく。そこで荷台から泥を降ろし再び泥の場所へ戻るという単純作業だ。作業が終わると団体さんの宿泊場所の駐車場を借りてそこで眠った。作業は4日で終了した。人数が多かったことと、雨が降らなかった事が救いだった。おっさんはこれから違う現場に向かうことになっていた。

おっさん「兄ちゃん本当に有り難うなぁ」

俺「お役に立てて光栄です」

作業が終わった現場の前でブロックに腰掛けておっさんと会話をした。思い返せば俺が最初に来たとき、この場所は数十センチの泥が四方に積もっていて車すら入れない場所だった。そこをスコップで車のタイヤが通る場所だけとりあえず搔き出した所から始めたのだった。それがここまで見違えるようになると気分がいい。これで電気と水道が復旧すれば本当に人が住めるというレベルにまで片付いていた。ただ、住人の姿はなかった。

当たり前だがあれほどの津波被害を被って再び同じ場所に家を新築しようという人がいないのだろう。郷土愛という言葉があるけれども、どんな事があっても自分が生まれ育った土地を離れたくないという気持ち。また同じ被害に遭いたくないと考える気持ち。そのどちらも分かるだけに凄く複雑な気持ちだった。そんな話をおっさんとした。おっさんは携帯で撮影した震災前の写真を見せてくれた。主におっさんが仕事をした現場の完成写真だった。

おっさん「石巻って本当にいい街だったんだよ。活気があって、人が沢山いてさ。それがこんな風になってしまうなんて本当に嘘みたいな話だよな。兄ちゃんのとこだって随分揺れただろう?こんなにこっちに来てて大丈夫なのか?親御さんは心配してないのか?」

「だって俺の地元はもう普通の生活ですもん。大丈夫ですよ」

なんて冗談にも言えなかった。

俺「色々大変でしたけど何とか大丈夫ですよ」

おっさん「そっか。いやぁ兄ちゃんと逢えて良かったよ。本当に有り難うな」

俺「え?てかこれで作業は全部終わりなんですか?俺もう最後まで一緒にやるつもりで来たんですけど」

おっさん「有り難うなぁ。本当に有り難うなぁ。でもここから先の作業は大工だったり、プロの仕事になるんだ」

俺「そっかぁ」

おっさん「もうすぐ夏になるなぁ」

俺「ですね。俺来た時雪降ってましたもんね」

おっさん「早く震災前の石巻に戻さないとなぁ」

俺「本当ですね!」

おっさん「全部片付いたら兄ちゃんと一杯やりてぇな」

俺「いいですねぇ!俺酒大好きなんですよ」

おっさん「俺はあんまり飲めないけど、ご馳走するから飲みに行こうな」

俺「はい!」

おっさんみたいに石巻を元に戻そうと必死で頑張っている人が居る限り、きっといつか石巻は元通りに戻るっていう確信を得て俺はまた地元へ戻った。月日は流れ、カレンダーは7月になっていた。あれから南三陸に救援物資を友人と運んだり、Iさんに逢いに行ったり、バックパッカー仲間から送って貰った物資を被災地に配ったり、そんな生活を送っていた。

そんな7月の上旬、風呂あがりに何気なしに携帯を見るとおっさんから着信が入っていた。
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作業を終えて三陸道を南下する。カーステレオからは震災情報がひっきりなしに流れている。石巻を離れ松島に差し掛かった辺りで車は渋滞に巻き込まれた。俺はこれまでの作業の事などを思い出していた。気がつくと疲れからなのかウトウトしかけている。帰り際に事故なんぞ起こしたら目も当てられない。俺は地元のずっと手前である仙台港で一旦高速道路から降りた。辺りはすっかり暗くなっている。

俺は家に戻る前にどうしても寄りたい場所があった。

スーパー銭湯だった。

ここ数日間まともに湯船につかっていないので寝る前に思う存分風呂に入りたかったのだ。眠い目を擦りながら最後の力を振り絞って俺はスーパー銭湯へと向かった。数日振りに入った風呂はとにかく格別の一言だった。これまでの作業の垢をこれでもかと言う位に落とし、俺は再び車へ戻った。これからどうしようか。

どうしようかというのにはワケがある。正直家に戻るのが少し怖かった。3.11の震災からまともに片付けすらしていなく、またあの部屋に居る時に大きな余震がきたらどうしようかなどと考えていると、とてもじゃないが暗い中戻る気にはなれなかった。そこで俺はコンビにでビールを買い込み、この日はスーパー銭湯の仮眠室で閉店時間まで眠り、あとは車で寝て朝になったら戻ろうと考えた。時間はアッという間に過ぎ、銭湯の店員に起こされて車へ戻る。ふと時間を確認しようとすると携帯に着信があった。おっさんからだった。その数なんと10件以上。時刻を見ると夜中の3時を回ったところだ。2~3回鳴らしてみて出なかったら明日かけてみようと俺はおっさんの携帯に電話をした。おっさんは即電話にでた。

俺「あ・・・あれ・・・もしもし」

お「兄ちゃんか?」

俺「はい。あの、すいません電話に出れなくて。それにこんな夜中に。着信の回数が多かったので急用なのかなと思って電話してみました」

お「兄ちゃん明日忙しいか?」

俺「明日ですか?特に何もないですよ」

お「申し訳ないんだけど明日来れるか?NPOの学生さん達が大勢来てくれるらしいんだけど現場を指示する人間が俺しかいないんだ」

俺「俺が指示するんですか?」

お「指示って言うか、現場監督的なもんでその場で一緒に作業をしてくれるこっち側の人間になって欲しいんだ」

俺「まぁ、全然いいですけど」

お「もう地元帰ったのか?」

俺「いや、偶然にも仙台なんですまだ。じゃ、明日朝行きますね」

お「助かる。本当に恩にきるよ。よろしくな!じゃ、おやすみ」


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翌朝、俺は三度石巻へと向かった。早めに到着してしまったので俺はおっさんから聞いた津波被害の大きかった場所をもう一度見に行く事にした。やはり、言葉を失ってしまった。余計な寄り道で渋滞に巻き込まれ、10分遅れで現場へ到着すると既にNPO法人らしき集団が現場に集まっている。大型バス2台にトラック3台。見ると皆若い。学生のようだ。

俺「おはよ~す」

お「兄ちゃん、来てくれたか!早速だけど俺はこっちの床と壁を作業するから指示頼むよ」

俺「え?!指示って何をするんですか今日は!?」

お「おっと、肝心な事を忘れてた。今日は家の中の床下の泥の掻き出しなんだ」

俺「うは~><でも学生さんも大勢いるし、いっちょ頑張りますか!」

お「本当にすまないけど、宜しく頼むよ」


床下の泥だし。これは想像を絶する作業だった。床の下には20cm程ヘ泥が溜まっており、そこへ潜りバケツリレーで泥を搔き出す作業だ。発電機からドラムコードで照明を床下に這わせ、ヘッドライトをヘルメットに取り付けて中へ潜る。床下は高さ5~60cmしかないので常に四つん這い状態だ。しかも臭いがキツイ。暑い。暗い。過酷な作業現場だった。

俺「あの~、ボランティアご苦労様です。今日は床下やるので体力に自信のある人俺についてきてもらっていいですか?」

どうせ誰もついてこないだろう。今時の学生なんてそんな奴等ばっかりだ。

そう思ってた自分が情けない。なんと全員が俺についてきてくれた。

俺「じゃあ、俺と一緒に中に入る人5名程、あとはここの穴からバケツを送り込む人数名、あとの残った人は一輪社全部使ってどんどん運び出してもらう形でいいかな?」

学生「はいっ!!!!」

俺「じゃ、いくよ~」


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こうして30cm四方の穴から床下へと入る。あとはただガムシャラに泥との格闘だ。気がつけばとっくに夕方になっていた。学生を始め全員が一言も発することが出来ない位に疲れきっていた。それでも家の床下の1/10程度しか泥は運び出せなかった。

俺「お疲れ様でした。本当にお疲れ様です」

学生「いやぁ、めっちゃヤバいですねこれ。全部やるんですよね?」

俺「うん。まだまだあるしね・・・。明日もよろしくです!」

学生「え?俺等は今日までなんで明日は来ないんですよ」

俺「え!?」

お「どう?進んだ?」

俺「あ、おっさん。1/10程度ですね・・・てか学生さん達明日来れないんですか?」

お「そうみたいだね」

俺「じゃあこの床下の残りどうするんですか?」

お「ぼちぼち頑張るさ。兄ちゃんも本当にありがとうな」

俺「え!?おっさん1人でやるの?」

お「1人じゃ無理さ。またこうして人手が多い時にやるよ。1人の時は別な作業だな。やることは尽きないし」

俺「・・・・・・・・・・・」

お「どした?」

俺「あーもうチクショー!やります!俺この床下終わるまではここにいますよ」

お「そう言ってくれると思ってたぜ」


こうして俺は床下が綺麗になるまでただひたすらに泥と格闘するのであった。勿論その間他のNPO法人や別団体のボランティアの皆さんも多く参加してくれ、床下は一週間後には見違えるほど綺麗になったのであった。
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綺麗に咲いていた桜も散った4月の下旬、俺はいつものように神社で目を覚ました。いい加減見慣れた風景を眺め、いつものようにミネラルウォーターを紙コップに注いで歯を磨き、身支度を整えて出発前に手を合わせる。もうスッカリ習慣になってしまっていた。親類や友人からは俺の身を心配してくれるメールが数多く届き、自分自身でもそろそろボランティアを切り上げて地元に帰りたかったが、帰ったところで俺の家は壊滅状態だったので住むには不便がある。実際、震災後GW明けまでお湯はでなかった。それならば限界を感じるまでボランティアをやってやろうと半ば意地のようにもなっていた。

ひより山には多くのボランティア団体が寝泊りをしていた。メインは恐らく石巻専修大学の校庭なのだろうけれど、そこはNPO法人のような大部隊の陣営であった。俺達のような個人で非力なボランティアは例え怪我をしようと保険はないし、食べるものも寝る場所も自分で用意しなければならなかった。勿論、そんなこと苦には思わなかったし、嫌だとも思わなかった。ただ唯一辛かったのは風呂に入れなかったことと、なけなしのお金が底を尽きそうだったことだった。毎日のようにカップラーメンの生活を続けても1日3食では体が持たない。それに夜は飲みたくなるし、3日に1回は焼酎のボトルを買っていた。ガソリンも馬鹿にならなかった。同じ石巻市内の移動とはいえ、移動の時だけエンジンをかけるわけにもいかず、携帯を充電したい時はエンジンをかけたし、寒い夜は暖房を使った。3.11の経験から、常にガソリンは満タン近くでキープしようと心掛けていたので俺は毎日朝現場に向かう前に給油をしてから向かっていた。


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出掛ける前に顔馴染みになった個人のボランティアや小規模の団体グループに挨拶をして出発する。この日も相変わらずの泥との格闘だった。現場は俺が来た時より良くなっている場所もあれば悪くなっている場所もあった。良くなている場所とは、勿論作業によって片付いた場所。片付いたと言っても勿論人が住める状況ではない。これから住めるかも分からない。そんな場所の泥を何故かきだすのか時折疑問に思ったが、もし仮に俺が被災者だったらきっと建物を後から取り壊すとしても今目の前にあった泥は出したいと思い、ただひたすら泥を運び出した。

悪くなっている場所というのは作業で使う機材だった。機材と言っても人海戦術なのでスコップと一輪車位だったが、柄の部分が木のスコップは折れてしまったものもあれば、一輪車は半分以上がパンクしてしまった状態だった。パンクしていない一輪車も空気が抜けてしまっており、重い泥を運ぶ時はとても辛かった。普段力仕事などしない俺の手のひらは何度も豆が出来てはつぶれ、自分でも自分の手ではないようなものになっていた。

それにしても人の力というか絆というものは本当に素晴らしいものだと本当に思った。石巻で生活して随分経ったが、その辺を走っている車のナンバープレートを見ると他県のものが圧倒的に多かった。ひより山に行くとほぼ100%他県ナンバーのものだった。他人との関係がどんどんと疎遠になっている昨今、このような緊急事態にはいざとなったら力を合わせて頑張れるんだなって思うと少し嬉しかった。


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(なにわナンバーの郵便屋さん)


ある日、他のボランティアの人達が全く来なく俺とおっさんだけの日があった。いつもの様に泥運びをしていた俺におっさんが言った。

お「ぷら君?」

俺「はい」

お「疲れたな~?」

俺「はい・・・でも頑張りましょう!」

お「今日はさ、他の人もいないし2人でやるには厳しいから午後は休みにしないか?」

俺「でも・・・」

お「あれから毎日1日も休まないでやってんだ。半日位休んでも罰あたらねえよ」

俺「それもそうですね」

お「じゃ、午後まで頑張ろう!」

休めるのは実際嬉しかった。でもそれと裏腹に俺は困っていた。昼間、この被災地石巻で自由になっても行く場所がないのである。ひより山へ戻っても昼間で人目が気になるし、とにかくどこに行く場所もなかった。俺はひそかに思っていた。「地元・・・帰っちゃおうかな」と。

お「よーしお疲れ様!終了だー!」

俺「お疲れ様です!あの、俺一旦今日地元に帰ります」

お「そっかそっか。それがいいよ。ぷら君は随分頑張ってくれたし、あとは地元で自分の事をやってよ」

俺「いや・・でも」

お「俺は仕事なんだから当然だし、いいんだよ」

俺「じゃ、携帯教えてください!どうしても人手が足りなかったら呼んでください!」

お「分かった。で、これどうやって番号交換するんだ?俺機械弱いんだよ」

俺「じゃ、俺がおっさんの携帯に俺の番号登録しときますよ」

お「ありがとな」

俺「おっさんも元気で!無理しないでくださいよ」

お「ああ。ぷら君みたいに見ず知らずの人がこんなに大勢石巻の為に頑張ってくれてるんだ。石巻はきっと復興するよ」

俺「はい」

お「そうだ、帰る前にここの道を真っすぐ行った幼稚園行ってみなよ」

俺「幼稚園?」

お「あの辺りは特に津波被害が多い場所だったんだ。1000年に1度って言われてるこの地震とつなみの跡を生で見ておくことはきっと大切な事だと思うんだ」

俺「はい!そうしてみます!」

こうして俺は現場を後にした。いつも作業が終わると向かっていたひより山とは逆方向に車を走らせる。おっさんが教えてくれた方向に走ると、そこにはTVの画面でしか見た事がなかった風景が広がっていた。


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何も無かった。本当に何も無かった。

誰かが「もし本当に神様ってのがいるなら、それは残酷な奴だよな」って言ったのを思い出した。

俺は何故かなかなかその場を離れる事が出来ず、その地区を車で降りて歩き回った。


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帰る頃には陽が沈みかけていた。

石巻には必ず未来がある。そう信じて俺は一旦地元に戻った。